東京地方裁判所 昭和27年(ワ)2395号 判決
原告 南夏子
被告 春山一郎 外一名(いずれも仮名)
一、主 文
被告等は各自連帯して原告に対し金二十四万三千四百五十円とこれに対する昭和二十七年四月二十一日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告その余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は原告勝訴部分に限り原告において各被告に対し夫々金八万円又はこれに相当する有価証券を供託するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告等は原告に対して各自連帯して金八十万円及びこれに対する昭和二十七年四月二十一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は被告等の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求めた。
請求の原因として、
(一) 被告春山一郎は産婦人科春山医院を開業している医師、被告花園咲男は同病院に雇われ補助医として勤務している医師である。原告は昭和二十六年九月訴外南登と婚姻して妊娠し悪阻がひどかつたので、同年十一月三日被告春山の経営する医院において診察をうけ、治療のためハイポン二ccゲドツクス五cc混合液の注射を同三日から五日まで毎日一回宛右前膊に受けたのであるが、三、四両日の注射の際は身体に別条なかつた。けれども原告は十一月五日被告花園が原告の右前膊に注射を始めるとすぐに、右手指の尖端から全身に激痛を覚えたので、被告花園にこの旨訴えたところ、傍に在つてこの注射をみていた院長の被告春山が被告花園に前日の薬液と同一ならば注射しても差支ない旨指示したので、被告花園はこの指示に従い注射を続行したが、原告の疼痛が激しく且右手先から変色して来たので薬液を約二cc注射しただけで注射を中止して帰宅した。然し、益々疼痛が激しく堪え難かつたので同日春山医院に入院した。
(二) けれども疼痛は益々激しく翌六日から右手拇指、示指、中指は青銅色に変色しその濃度及び範囲を拡大するので春山医院における治療を断念同月十八日退院し、同月十九日東京大学附属病院福田外科で診察をうけ翌二十日から十二月四日まで右病院に入院治療を受け軽快に向つたが、更に十二月四日財団法人光線研究所附属診療所に於て診療をうけ、同月五日から十五日まで同所に入院治療を受けたのであるが、其の後ついに右手の拇、示両指の末節を切断するの已むなきに至り、中指は感覚を失い屈伸の自由を失うに至つた。右症状は乾性壊疽であるがこれは被告等が原告の治療をするに当つて消毒不完全な注射器を以て薬液を注射したか、右注射は静脈にすべきところを誤つて薬液を動脈に注射したか、又は注射器を以て神経系統管を破壊したことに起因するものである。
(三) しかして、右は被告等の過失によるものである。即ち、凡そ医師が薬液の注射をなすに際しては、器具の消毒を完全にし、又注射の施行に当つては患者の神経系統管を注射針で破壊しないよう注意すべく、又、静脈注射用液を注射する場合には患者の動脈に注射しないよう最善の注意を払う義務があるが、被告花園は医師としての注意義務を怠り、消毒不完全な注射器をその儘使用したか、注射部位を誤り静脈に注射すべきを動脈に注射したか、又は、注射針の尖端で原告の神経系統管を破壊し因つて前記の如き症状を発生せしめたものであるから、被告花園において不法行為の責を負うべきは勿論である。しかし被告春山は被告花園の注射に立会つていたものであるから、注意を払つていたならば、経験不十分な被告花園が治療に際して注射器具の消毒が完全かどうか、被告花園が薬液の用法通り静脈に注射していないのではないか、又、神経系統管を注射針の先で破壊したものでないかについて十分な指示を与へ若し右のような場合には注射の施行を阻止して本件症状の発生を未然に防止しえたに拘らず、右の注意を怠り被告花園の治療処理を十分に調べることなく慢然注射の続行を指示したため、被告花園がその指示に従い注射を続行し本件症状を惹起したもので、結局被告等の共同不法行為によつて前記のような結果を生じたものというべきである。
仮にしからずとするも、被告春山は春山医院を経営する院長で、被告花園を補助医として雇用しているものであるが、被用者花園が被告春山の補助医としてのその業務執行につき原告に加えたものに外ならないから、その結果に対する責任は被告等が当然共同で負担する義務がある。
(四) よつて被告等は右共同不法行為によつて原告に与えた損害のすべてを賠償すべきであるが、原告は鋳物工場主の長女に生れ相当の教養があり、原告の夫登は肩書住所において鉄工場を経営する父の業務を担当して居り、原告は結婚いくばくもなく被告等の不注意により不具になり主婦として母として万事不便不自由が大きいし、若い夫婦の将来に永く肉体的精神的に重大な暗影を投じ続けるのものである。又、注射の時以後長期間疼痛の甚しかつたことは勿論、春山医院に入院中被告春山から母体保護のため勧められて不本意ながら初生児の妊娠中絶をした等原告の蒙つた肉体的精神的苦痛は甚大であつた。右精神的損害は金銭に見積つて漸く金七十万二千百円を以て慰藉さるべきものである。又、原告は前記入院治療等のため、入院治療費として、春山医院謝礼金(昭和二十六年十一月五日から同月十八日までの分)金二千円、東京大学附属病院入院費(同月二十日から十二月四日までの分(金一万一千七百円、財団法人光線研究所附属診療所入院費(十二月五日から十二月十五日までの分)金六千七百五十円治療費及び消耗品費として光線治療器コウケントー一台金二万三千円、治療用カーボン代(昭和二十七年五月分までの分)金四千九百円及び金八百五十円、其の他の治療費としてペニシリン注射一回分金五百円、薬局に支払つた薬代費(昭和二十七年五月までの分)金七千円、雑費として交通費金七千二百円、食費(昭和二十七年五月までの分)金三万四千円以上合計九万七千九百円を支出するのやむなきに至り、該金額と同額の損害を蒙つたのであつて、上叙慰藉料及び治療代等合計金八十万円の損害は被告等が前叙共同不法行為により原告に蒙らしめたものであるから、被告等は原告に対しこれが賠償をなす義務がある。よつて原告は被告等に対して各自連帯して右損害金合計八十万円と被告等の不法行為の後で本件訴状送達の翌日たる昭和二十七年四月二十一日から右支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。<立証省略>
被告等訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求めた。
答弁として、原告主張の事実中、
(一)項の事実中、昭和二十六年十一月五日注射の際全身に激痛を覚えたこと、被告春山が注射の続行を指示したこと及び注射中指先から紫色に変色して来たことは否認するがその余の事実は認める。
(二)項の事実は、原告の指三本が春山病院入院中に変色しその濃度及び範囲を拡大した事実は認めるが、原告が春山病院退院後の経過は不知、原告の症状が被告等の注射に基因することは否認する。春山医院は慈恵医大講師被告春山の経営であつて人員施設共完備しているから注射器具の消毒不完全ということはあり得ない、殊に原告の壊疽の原因は血管栓塞であるから消毒不充分のための病源菌によるものであり得ない。又注射を動脈にしても静脈にしてもその効果が直接的か間接的か、効率が高いか低いかの差異であるに過ぎず、同じ血液である以上吸収されない理由はなく血管栓塞など起り得ない。又、神経系統管を注射針の先で破壊しても感覚が鈍くなり従つて動作が鈍くなる程度で本件のように血管栓塞による壊疽になる筈がない。畢竟本件症状は医学上全く予想できないところである。
(三)項は全部否認する。十一月五日被告花園は原告の右前膊をゴム管で緊縛の上正中静脈に注射針を挿入し血液の注射筒えの逆流の具合によつて静脈なることを確認の上約一ccを注入した時原告が疼痛を訴えたので再び前同様の方法によつて静脈なることを確認するという風に十分の注意を払つて静脈注射をしたもので、注射部位を誤つたことはない。且つ又、十一月五日午後一時半頃被告花園が原告方に往診したところ、原告は強度の疼痛を訴え、その右手の拇、示、中三指の尖端に稍紅潮を認めたので以来十一月十八日まで十四日間入院中不眼不休治療に当り、被告両名は勿論、慈恵医大高田善教授及び久保田医師の来診を請い、又、昭和医大小平教授の指示を請う等本件症状の原因の究明及び爾後の治療処置に万全を尽したのであるが、ついに治療に至らなかつたもので、その間被告には何等の過失もない。更に、患者が特異体質の持主なるときはいかに注意しても注射のため血管栓塞に因る壊疽を生ずることがあるので本件も原告が特異体質の持主であることに起因するものとしか考えられないのである。従つて本件注射により本件症状が惹起されたことから直ちに被告等に過失ありという原告の主張は誤りである。
(四)項の事実中原告の父が鋳物工場主であること及び原告が南登の妻であることは認めるが、その余の事実は争う。と述べた。<立証省略>
三、理 由
被告春山一郎が産婦人科医院を開業している医師、被告花園が同病院に雇われ補助医として勤務している医師であること及び原告は悪阻が激しかつたので昭和二十六年十一月三日春山医院において診断をうけ同月三日から五日まで一日一回宛その右前膊にハイポン二cc、グドツクス五ccの混合薬液の注射を受けたが、三、四両日の注射の際は何等異常がなかつたことは当事者に争がない。
証人春山二郎、梅山イソ及び南登の各証言ならびに原告本人及び被告花園咲男本人訊問の各結果を綜合すると、昭和二十六年十一月五日午前十時頃被告花園は原告の右前膊橈骨側部の血管に前記混合薬液の注射を始めたが、薬液全量七cc中少量を注射するや原告が右上肢に激しい疼痛を訴えたので一旦注射を中止したが、傍にあつて注射を見ていた院長である被告春山一郎が前日と同様の注射液かどうかに質したのに対して、被告花園が然る旨応答したところ、被告春山が注射の続行を指示したので、被告花園はこの指示に従い、本件薬液の注射を続行したのである。ところが原告は疼痛が堪え難い旨訴えたので混合薬液約二ccを注射しただけで注射を中止したが、疼痛が益々激しく右手指先から変色して来たので爾後の治療をやめ原告は夫登に助けられて漸く帰宅したものの、依然疼痛が甚しいので、被告花園の往診を求め、同日春山病院に入院、処置をうけたことが認められる。しかして証人南登の証言と原告本人訊問の結果を綜合すると、右前膊部血管への薬液注射に際して右指先から激痛が始まりすでに薬液注入中に右上肢橈側及び右手全体は冷結になり激しい疼痛が右上肢全体に継続的に存し、春山病院に入院処置をうけるようになつてからも疼痛は一向軽減しなかつたが、入院中に右手の拇指、示指及び中指未節は次第に壊疽状態になり、なお拡大の傾向にあつた、原告の夫登等は春山医院における治療に不安を感じ、同病院における治療を断念して退院し、同月十九日に東京大学附属病院福田外科で診断をうけ翌二十日に入院処置を受けた結果、十二月四日退院時には患部は悪化の傾向を止め疼痛は軽快したが治癒には至らず右手拇指、示指、中指は壊死部との限界が明確化する傾向を示し次いで同年十二月五日から十五日まで財団法人光線治療研究所附属診療所に入院処置を受けたが、ついに原告は右中指は感覚を失い屈伸の自由を失うに止まつたものの、拇指、示指の未節は切除するの已むなきに至つたことが認められる。
しかるところ、原告は右の症状は被告等の共同不法行為によつて惹起されたものである。即ち、本件注射に当り、注射器の消毒が不完全であつたか、静脈に注射すべきを動脈に注射したか、又は注射針で神経系統管を破壊したかによるものである旨主張し、被告等はこれを争つているので案ずるに、
鑑定人中山恒明及び同渡辺千春の各鑑定の結果によると原告の本件症状は医学上乾性壊疽というのであるが、この症状は前認定の通りハイポン、ゲドツクス混合薬液を原告の前膊の血管に注射したところ、前記のように十一月三、四両日の注射時には異常がなく、十一月五日の注射時に局所に激痛があり、同時に右手の三指先に異常を生じ漸次壊死するに至つたのであるから、十一月五日の注射が直接の関係あるものと謂わなければならない。そして、次の諸点と併せ考えると、十一月五日本件混合薬液を原告の右前膊動脈に注射したことに因るものと認められる。先づ前記各鑑定人の鑑定の結果を綜合すると次のことが認められる。即ち本件ハイポン二cc、ゲドツクス五ccの混合薬液は悪阻の治療に臨床的に使用されておつて、有効に作用するものと考えられて居り、ハイポンは五〇%のチオ硫酸ソーダを含有し他の薬液と混合解毒のため使用すべきもの、ゲドツクスは牛胆汁酸、ビタミンB、葡萄糖を含有解毒のため使用するものであるが、右薬液の注射によつて乾性壊疽を起すのは左の場合、即ち(イ)薬液自体の不適、薬液が変質し又は不純物混入等の場合がこれに当り、動脈注射、静脈注射のいづれの場合にも壊死の原因となる。(ロ)薬液の血管剌戟による動脈の痙攣、薬液の血管剌戟により動脈の痙攣、血管の太さの縮少等が起り血流停止を起し壊死を生ずる。これは動脈注射の場合に顕著であるが、薬液が動脈に注射された場合は薬液は注入された動脈系を末梢えと送られるから、末梢に送られる薬液量及び濃度は注入の速度によつて直ちに左右され、且つその動脈が支配する領域には、等量を静脈に注入した場合と全く異つた濃厚な薬液が流入し、結局局所に対する作用が顕著であるのに較べて、静脈に注射された場合には薬液は末梢から中心部へと従つて血管の太さも次第により太い方へと流れて先づ心臓に戻り更に肺循環をへて再び心臓をへて体循環に送られるので、大量の血液に混和し均等化されて未端に送られる結果、全身的には変化を生せず注入の際未梢に向う血管に沿つた疼痛を訴えることなく、局所的には支配する動静脈に於て血管の太さの変化及び血管壁に著変を及ぼさず、従つて血栓や壊死を起さない。(ハ)未梢神経剌戟による動脈の痙攣。薬液による動脈の痙攣は該混合液が皮下注射により血管周囲神経叢に浸潤したとき又は血管壁から漏れた時に起りうるが、実験的には一過性のもので可能性は少いが動脈注射、静脈注射の場合共に全く問題外とすることはできない。(ニ)動脈内血栓(血管系を循環する血液の凝周)の形式。これは血行の変化即ち緩慢ないし静止、血管壁の変化即ち種々の化学的、機械的或は複雑な炎症性の障碍、動脈硬化によつて内皮細胞が損傷すること及び血液自身の性状の変化、特に血液凝固性の亢進等の条件が相よつて始まるもので、三種の条件は独立しては血栓を形成しない、正常体質の持主で血液自身の性状の変化薬液の変質又は不純物混入がないときは血栓の形成はない。(ホ)高濃度の混合薬液の注入による血管壁の変化による血流障碍、さきに(ロ)において述べた理由から動脈注射の場合には血管壁の変化は相当強く内膜の溷濁腫脹、核消失、内膜欠損はいづれも血管壁にみられ強い変化でこれが進行すれば内腔の縮少ないし消失、血流停止、壊死が惹起されるが、これに反して静脈注射の場合には(ロ)においてのべた理由から血管壁の変化は否定的である。(ヘ)異常体質。この場合には動静脈注射いづれの場合にも壊死を起す。けれども証人春山二郎、同石井雅楽の各証言及び鑑定人中山恒明、同渡辺千春各鑑定の結果を綜合すると単なる注射器の消毒不完全によつて本件のように急速に壊死の結果を生ずることはなく、又神経系統管の破壊によつては本件のような壊死を生じないものと認められる、被告は動脈に注射されても静脈に注射されても、その薬液の効果が直接的か間接的かの違いがあるだけで壊死の結果を生じないと主張しているが、この主張の採用に値しないことは前述したところから明かである。右にのべたところから明かなように、動脈注射の場合は(イ)ないし(ヘ)いづれの因子によつても壊死の可能性があるけれども、本件においては、(ロ)(ホ)の因子が単独或いは二つ合して壊死を惹起したものと考える。即ち、先づ本件ハイポン及びゲドツクスは前者は田辺製薬の製品、後者は塩野義製薬の製品であるが、いづれも適法な検印のあるものを購入使用されているものと思われるから、本件注射液は、特別の事情の認められない本件では良好な変質していないものと推定されるので、本件壊死の原因の考察に際しては(イ)の因子はこれを除外すべく、又、証人石井雅楽の証言及び中山鑑定人の鑑定の結果によると本件薬液が皮下注射されたとき又は血管から洩れた時は局所の浮腫腫脹をみるのであるが、そのような浮腫腫脹がみられた事跡がなく前認定の如く血管内に薬液が注入されたと認むべき本件においては(ハ)の因子も亦除外すべく、又、(ニ)の動脈血栓の形成は、前述のように薬液の不適や、後述のように原告が異常体質の持主たることを否定すべき本件においてはこれ亦除外すべきである。又、(ホ)の異常体質の点は、なる程十一月五日注射当時原告は妊娠中でありしかも悪阻というのであるから、この時の状態は本人の健康時と異つて種々の剌戟に対して不安定な状態にあつたことは考えられるけれども渡辺鑑定人の鑑定の結果によると、本件薬液中ハイポンは一日又は隔日に一ないし二回静脈注射して七ないし十回に及べば一応中止するがよいとされているものであるが、前記当事者間に争ないように十一月三、四日の両日二回使用されただけで、しかも特に副作用を認めていないから、原告は悪阻中とはいえ本件十一月五日の注射の場合に限つて化学的作用を来す異常状態にあつたとは思えないし、他に原告が注射当時異常体質の持主であつたことを認める証拠もないから、(ヘ)の因子も本件壊死の原因の考察に当つてはこれを除外すべきであつて、結局本件薬液を動脈に注射した場合には(ロ)(ホ)の因子が単独又は二つが合して壊死の結果を招いたものと考えられる。これに対して、本件薬液を静脈に注射した場合は(イ)(ハ)(ニ)(ヘ)の因子により壊死の可能性がある。然し本件においては右の因子は動脈注射の場合について述べたと同様の理由によつてすべて排除せらるべきであるし、被告花園本人は静脈に注射したときも血管の縮少、血流の変化を来し、その結果動脈血流の変化を来し、かくて生じた血流障碍と原告の異常体質と相まつて壊死を生じたと考える旨供述しているけれども、右の如くにして壊死の結果を生ずることは、前に述べたところから明かなように考え得ないところである。結局本件においては静脈に本件薬液が注射されたとすれば壊死なる症状を生じ得ざる所といわねばならぬ。しかして被告花園本人は静脈に注射した旨供述し、乙第一号証(カルテ)には右前膊正中静脈に注射した旨記載はあるが、前説示のとおり静脈注射の場合には壊死の結果を生じえないに拘らず本件において壊死の結果を招いている以上、右証拠を採つて直ちに本件注射が原告の静脈に注射されたことを認める証拠とはなし難く、他に上叙の認定を覆すに足る証拠はない。然りとすれば、結局十一月五日被告両名が共同して原告に施した注射は原告の右上膊橈骨動脈になされ、パイポン二cc、ゲドツクス五cc混合薬液の影響によつて薬液の血管剌戟による動脈の痙攣血管の太さの縮少や高濃度薬液の注入による血管内膜の溷濁腫脹、核消失、内膜欠損、内腔の縮少等が単独又は相合して惹起され未梢の右手拇指、示指、中指の支配動静脈の血流停止、組織壊死によつて原告の患指の乾性壊死の症状を惹起したものと推定する外はない。
そこで、次に、被告等の注射行為に過失があつたかどうかであるが、本件薬液は静脈注射液であるからその注入に当つては上膊を一時緊縛する等血管の識別を容易にし、且つ注射針を血管に挿入した後血液を注射筒に吸引逆流せしめ、逆流具合によつて静脈なることを確めた上で薬液の注入をするよう注意すべきであり、かくすれば容易に静脈を発見してこれに注射でき、従つて薬液の不適、原告の異常体質等のことがない本件においては、壊死の症状の発生を避け得た筈である。被告花園本人は原告の静脈は発見容易であつて一般処置のとおりゴム管で上膊をしめて注射をしたが、原告が疼痛を訴えたので血液を吸引その逆流の具合によつて静脈なることを確認した旨供述し、乙第一号証には同旨の記載があるけれども、被告花園の供述はたやすく措信し難く、右乙第一号証の記載は被告花園が静脈なることを確認の上注射をなしたことの証左とはなし難く、その他被告花園が万全の注意を払つたと認むべき証拠がない。果して然らば本件症状は被告花園が如上注意を怠つたか、又は、誤認によつて注射部位を誤り静脈に注射すべきを動脈に注射したるにより惹起されたものと認めるの外ない。しかして、被告花園は前記当事者間に争なき如く被告春山の補助医であつて、被告花園本人の供述によつて認めうる如く同被告は当時未だ経験の浅い医師であつたから、被告春山は十分注意を払つて被告花園の医療行為が誤つているときは適時所要の注意を与え又はみづから該医療行為をなすべき義務がありかかる義務を尽していたならば、前記の如き被告花園の過失を発見し、本件症状の発生を避け得べかりしものであるが、本件においては、前認定のように、被告春山は被告花園の注射時傍に在りながら注射液が前日の注射液と同様の薬液かを被告花園に質して確めた以外には、被告花園の注射部位の誤りの発見のために十全の注意を払い、その是正の手段を構ずることなく、漫然被告花園に注射の続行を指示したことが認められ他に右認定を左右すべき証拠はないから、本件注射に際し被告春山が相被告花園の注射行為に対する注意義務を怠り且つ漫然注射の続行を指示した過失も亦症状の発生の原因の一部をなしたものと認めるのが相当である。果して然らば本件症状は被告等の共同不法行為によつて生じたものと謂うべきであるから、被告等は各自連帯してこの結果生じた原告の損害を賠償する義務ありと謂うべきである。
よつて進んで原告の蒙つた損害につき案ずるに、証人南登、及び原告本人訊問の結果によると、原告の実家は鋳物工場主で、原告は小学校を卒業し、戦時中挺進隊に徴用されたが、昭和二十六年九月南登と婚姻し、本件症状の後に一女を設けたものであるが、原告は当年二十四歳の女性で、本件症状の発生により人眼につきやすいしかも日常主に使用する右手の拇指、示指の未節を切断し、中指は感覚を失い屈伸の自由を失つたことによつて今後長期間主婦としての日常の家事ばかりでなく、社会生活上も相当の不便不自由とひけ目を感ずる肉体的状態にあること、原告は十一月五日注射中から激しい疼痛を訴えその後容易にこれが去らず春山病院入院中床上を転々とする程で東京大学福田外科退院時に至り漸く軽快するまで約一月間言語につくせない苦痛を忍んで来たこと、春山病院入院中に疼痛が激しいので不本意ながら妊娠中絶をしたことにより相当の精神的打撃をうけたことが認められるのであつて、かような精神的損害は結局被告等の前記不法行為に因るものであるから之に対し相当の慰藉料を賠償する責任あるものと謂わなければならない。しかしながら前叙の如き原告の年令家庭環境社会的地位等の外被告花園の供述によつて成立を認めうる乙第一号証(カルテ)の記載と証人春山二郎の証言及び被告花園本人訊問の結果を綜合すると被告花園は本件注射時の疼痛は注射液の漏れたことによる単純な疼痛と考え温湿布を試みるよう指示したが、前記のように原告を春山医院に入院せしめた後は予期しなかつた結果の発生を遺憾とし被告花園は不眼不休で献身的に治療処置に当り、発生した症状の原因究明及び処置のため前記のように数人の医師の助力を請う等被告等として良心的になしうる限りの努力を尽したし、又原告から入院費及び治療代の受取を固辞していることが認められるので、右の事情を併せ考えると原告の蒙つた精神的損害は金二十万円を以て慰藉されるのが相当である。次に証人南登及び原告本人訊問の結果によつて成立を認むべき甲第二号証の一ないし五及び証人南登の証言と右本人尋問の結果を綜合すると、原告は入院治療のため東京大学附属病院入院費金一万千七百四十五円及び財団法人光線研究所附属診療所入院費用金六千七百五十円合計金一万八千四百九十五円を支出したことを認められるからこれが賠償を求めうるべきも、原告は右費用中福田外科入院費用は一万千七百円だけを請求しているので結局一万八千四百五十円の範囲において、原告の請求を認容すべく、右費用の外原告の夫南登において春山病院入院中の看護婦に対する菓子代として二千円及び光線治療器コウケントー一台購入代金二万三千円を支出したことを認めうるが、右の費用は結局被告等の不法行為により支出するに至つたものであつて原告の損害であること勿論であるから被告等は右金額を賠償すべきであつて原告は被告等に対し右合計四万三千四百五十円の賠償を求めうべきものである。その余の損害に関する原告の主張事実はこれを認むべき証拠がないから採用の限りでない。
しからば、原告の請求は右通計金二十四万三千四百五十円の損害賠償額とこれに対する本件訴状送達の翌日であつて本件不法行為の後なること明らかな昭和二十七年四月二十一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきも、その余は失当なるを以てこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 花淵精一 岡部行男 加藤一芳)